定点写真で振り返る。「六本木ブルーマンシアター」 の変遷
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「顔を真っ青に塗ったパフォーマー」のことです。
1987 年、最初の 3 人組となる 3人のメンバー(マット・ゴールドマン、フィル・スタントン、クリス・ウィンク)が、ニューヨークの路上でストリート・パフォーマンスを開始しました。
「ブルーマン 3 人が繰り広げる劇場型のショー」のことです。
世界で初めて「BLUE MAN GROUP」のために作られた専用シアター。
「BLUE MAN GROUP」のパフォーマンスを存分に楽しんでいただくことを目的に設計されています。
ステージから最後方の席までわずか25メートル。どの席からも同じような臨場感を味わえます。
約1,750平方メートル
約2,123平方メートル
901 席
97 台
無
ブルーマングループ東京公演の為に「株式会社インボイスエンターテインメント」を設立しました。
「ブルーマンジャパン制作委員会」は、渋谷のライブハウス「O-EAST」で、「BLUE MAN GROUP IN TOKYO(ブルーマングループ IN 東京)」の東京公演制作発表会を開催しました。
※「ブルーマンジャパン制作委員会」は、朝日新聞社、アミューズ、インボイスエンターテインメント、エイベックス・ライブ・クリエイティヴ、エフエム東京、エンタテインメントプラス、オリコム、テレビ朝日、ぴあ、ローソンチケットで構成されています。
「株式会社インボイスエンターテインメント」は、「BLUE MAN GROUP IN TOKYO」公演専用の「インボイス劇場」を竣工しました。
「ブルーマンジャパン制作委員会」は、竣工した「インボイス劇場」にて「BLUE MAN GROUP IN TOKYO」公演を開始しました。
千秋楽。「BLUE MAN GROUP IN TOKYO」公演が、終了しました。※1回目
代表である「新井勝久」は「株式会社インボイスエンターテインメント」へ対するMBO(マネジメント・バイアウト)を行い、独立。「ブルーマングループ株式会社」を設立しました。
「ブルーマングループ株式会社」は、アミューズ、博報堂、博報堂MPと「ブルーマングループinTokyo LLP」を組成、「ブルーマングループ東京公演②」を開始しました。
※LLPとは、「Limited Liability Partnership(リミテッド・ライアビリティ・パートナーシップ)」の略で、「有限責任事業組合」という事業体のことです。 構成員全員が無限責任の民法組合の特例として、経済産業省により定義されました。
再演にあたり、劇場名を「インボイス劇場」から「六本木ブルーマンシアター」へ改称しました。
「ZELCOURT(ゼルコート)」閉鎖に伴い、「六本木ブルーマンシアター」の入場が、「六本木ヒルズ」方面から「鳥居坂」入口へ変更されました。
千秋楽。「ブルーマングループ東京公演②」が、終了しました。
公演は 4 年に及び、通算 1,388 公演をもって幕を下ろしました。
「ブルーマングループ東京公演②」終了に伴い、「ブルーマングループ株式会社」は、会社名を「トリックスターエンターテインメント株式会社」へ商号変更しました。
また、劇場名を「六本木ブルーマンシアター」から「六本木ブルーシアター」へ改称しました。
六本木ブルーマンシアターは2012年秋、ブルーシアターに生まれ変わります
管理運営 Trickster Entertainment トリックスターエンターテインメント株式会社 旧ブルーマン・グループ株式会社
「トリックスターエンターテインメント株式会社」は、芸能プロダクション「アミューズ」と業務提携しました。
劇場名を「六本木ブルーシアター」から「アミューズ・ミュージカルシアター」へ改称して、再開場しました。
劇場使用契約が満了しました。
わずか1年で閉館となりました。
「トリックスターエンターテインメント株式会社」は、劇場名を「アミューズ・ミュージカルシアター」から「六本木ブルーシアター」へ戻しました。
劇場の「所有者」兼「管理者」である「トリックスターエンターテインメント株式会社」、Zeppライブ、パルコ、クリエイティブマンプロダクション、トムス・エンタテインメント、イープラス、ローソンHMVエンタテイメント、ぴあの 8 社で「Zeppブルーシアター六本木運営委員会」を組成しました。
劇場名を「六本木ブルーシアター」から「Zeppブルーシアター六本木」へ改称して、再開場しました。
土地使用契約の終了に伴い、「Zeppブルーシアター六本木」を閉館しました。
劇場は、閉館後に解体されました。